ごめんねジュビリー

La La Love NCT DREAM THE DREAM SHOW

荒れ狂う嵐に負けたくない、십일월

 

 今年、日本、そして韓国を駆け抜ける風。それは、わたしがまなざすスキ、そしてこの二つの国の関係において、いずれも荒く重い。それは怒りという烈しさと、苦しみのなかで蠢いている物悲しさの両方をたずさえている、と個人的には思う。

 10月も、いろんな事があった。11月も、いろんな事が起きている。わたしは誕生日を迎えてもいないのにすこうしだけ大人になり、そしておのれのスキをまなざしているときはやっぱりいつまでもただの子供としてけらけらと笑い、飛んだり跳ねたり泣いたりしていた。そしてこれからもそうするつもりだ。ずっと、末永く、それでも一歩ずつ歩みを進めながら。立ち止まらないで、わたしはわたしとして生きていく。

 わたしのスキをかたちづくるおんなのこが世界から消えてしまっても、きたない言葉は無くならないし、ひとは悲しいとき、自分が傷ついているからひとを傷つけてしまうこともある。それが許されると思ってしまう、そんな瞬間があるんだと思う。ひとは簡単に過ち、そしてそれを忘れるほどに怠惰なのだ。つねに思う。でも、悲しみから怒りから虚しさから生まれた烈しい言葉で、この冷たい世界を変えることが本当にできるのだろうか。今一度、そう、その言葉を口にする前に、ちいさく、でもしっかりと。息を吸って吐いてみることは、できないんだろうか。そして、冷たい世界にどのように息吹を吹き込んで、どのような世界に変えたいのかをつねに考えて、感じてみることはできないんだろうか。「つねに」していることが「肝心な」時にあらわれるんだ。そのための練習を「つねに」、「毎日」、わたしたちはしているんだ。とっさに出てくるやさしさや正義は、「つねに」練習してはじめてわかる、はじめて本当の言葉や行動としてとっさに出てくる。それは言い換えれば、「毎日」の中に、差別や不理解、断絶、そしてひとを傷つける言葉が「つねに」潜んでいるのと同じことなんだ。

 そして、毎日膨大な情報の中で惑わされるわたしだから。だからこそ、わたし自身が信じた女の子、男の子が、みんなが魅せてくれたかがやき、わたしが感じた「熱」はなかったことにできないと思います。そこには、責任も罪も内在していません。不正義、不道徳、社会の考える「悪」は、彼らが魅せてくれた「熱」や「願い」の本質ではありません。過失や義務から生じる責任は、一体誰のものなのか?今、誰がその責任を追及しているのか?責任の追及の方法は本当に妥当なのか?誰の過失であり誰の義務であり誰の不利益なのか?このような、紛争解決のための論点は、問題のはじまりから様相を変えてきているようです。「なにをしたかった」ではなく「なにかしたかった」ひとたちの手を離れ、今、この荒れ狂う嵐は、全身全霊を投じて「熱」を魅せてくれたみんなを、そしてそれを受け取ったわたしを悲しませています。

 争いの解決とは、すべてのひとの納得の上での「解決」とは、到底なりえません。それは、我々の国と隣国との関係、とりわけ今年に入ってからの変遷ひとつをとっても明らかだと思います。そしてそれと同じように、「正義」もどこにもありません。でも、だからこそおのれの「正義」とはなにか、そしてそれが他の誰かと異なる時、その誰かの正義を壊すのではなく、「対話」をするためになにができるかを考えていかなきゃいけないんだ。

 この問題によって苦しんでいるみんなが、一刻も早く、そして少しでもその苦しみから解放される日が来ることを切に願っています。

 

 秋です。もう秋ではないかもしれない。冬がやってくる。そんな季節の変わり目で身体の調子はおかしくなるし、芯から固まって、怪我も増えるね。踊り、歌い、わたしたちに素晴らしくきらきらした「自分たちの日常」/「ときめき」/「青春」を届けてくれる、魅せてくれるみんなは、それでも。みんなにとっての「日常」とは異なる世界に生きるわたしたちと同じように、ずっとそんな可能性と隣りあわせで闘っているね。だから。

 みんなにとっての日常をみんなが思うように駆け抜けられますように。今辛い思いをしているみんながはやく元気になりますように。大好きなステージに戻って来れますように。勝っても負けても止まることのできない世界だけど、それでも、待っていますという声が届くやさしい冬のはじまりになりますように。

 セブチイルコンお疲れさま。日プのみんな、デビューハジャ。ドリム6、DREAM SHOW、本当にありがとう。そして、ウジンくんがはやく踊れますように。

 せわしない毎日で、ゆっくり、しっかり歩んでいけるよう、荒れ狂う嵐に負けぬよう、深呼吸をこころがけたいJより。