ごめんねジュビリー

鉄は熱いうちに打て

ヒプノシスマイクバースでいつまでも碇シンジじゃいられない!〜消費者であること〜

 

どうもッ!ラニラニラニ〜ナでっす💃

 

今日は、「ごめんねジュビリー」今年最後のシングルリリースを記念したエントリになっております。ヒプノシスマイクという作品を通して消費者であること/発信することについて考えました。バラードなんで、っていうかこぶし効かせてるっていうか演歌っていうかロックなんですが精一杯歌うのでエントリを読んでくださったあなたになにか届けばいいなと思います。それでは、ごめんねジュビリー/新シングル「いつまでも碇シンジじゃいられない」、どうぞ!

 

 

いつまでも碇シンジじゃいられない!

〜消費者であること・闘うということ〜

 

序文にかえて:わたしとヒプノシスマイク

わたしがヒプノシスマイクというコンテンツに心を傾けるようになってから早いもので4ヶ月ほどが経ちました。2017年11月に2秒ほどTLで盛り上がったキムスバオニ〜チャン浅沼大先生によるRAP BATTLE”とゆ〜コンテンツ・・・「エ?木村サンがまた長兄!?今度は妹じゃなくて3人男兄弟!?エ?!それでライバルが浅沼サンでヤクザ!?待って〜!!!置いてかないで連れてって(♪少年よ我に帰れ)!!!」となったわたしは御察しの通り、最高にテンションが上がっていました

 

リアル妹さんとのSNSでのやり取りがカワイイ+茶目っ気のヤバイ男こと、わたしのだいすきで大事な作品「輪るピングドラム」の根幹を担っていたキムスバオニ〜サンと、みんな大好きうっちゅ〜☆キタコレ浅沼オニ〜サンが参加しているプロジェクトは確かに!疲弊した心に染み渡るブチ上げコンテンツだったんですが、2秒ほど嗜んだかと思えば・・・わたしはその後、2018年8月までまつりかちゃんとりりこに「いいから早よ聞け二回聞け」と推され続けたものの、全く食指が動きませんでした。ごめん。シンジュクシブヤ言われてもよ〜わからんしらんゴンチャはうまい(※ブクロとハマで情報の更新が止まっていたオンナ)。

 

しかしついに2018年8月当初、「コンテンツをスキになったから」とゆ〜よりも界隈の熱量とコンテンツの認知度のギャップに好奇心をくすぐられ、ヒプノシスマイクの楽曲、DRAMA TRACKおよび公式設定を履修し、ラニーナは思ったのである。

 

「エ?わたしの今の心持ち、“パパにいきなり第3新東京市に呼び出され向かうも謎の怪物が現れてびっくり!しかもあれよあれよと目の前に謎の美少女が登場し、彼女の重傷を目の当たりにちゃっても〜大変!意味不明だけどとりまヤベ〜じゃんって訳も分からず初号機に乗ることを決心した!”とかゆ〜碇シンジと多分同じやな」と。

参照:EVANGELION.CO.JP

 

わたしと初号機のシンクロ率はゼロに等しいんですけど、わたしとシンジ君の脳内ハテナマークのシンクロ率は完璧パーペキ100パーだとわたしは確信している。

 

というわけで、今日あなたにラニーナが届けたいのは、キャラ解釈や世界観に対する疑問以前に、前提として製作者側の方々が「HIPHOP文化・男尊女卑から女尊男卑へとパラダイムシフトした世界観・武力や戦争と言う概念を扱うことに対する自らの姿勢について説明不足」であることを理解しているのかという「問い」です。

 

 

正義の欠如と作品のポテンシャル

8月から、上記のわたしの考えは変わっていません。世界観が明確でないことに対する説明を、明確でない中で扱うにはリスペクトを払うべき/扱うことにおける意義の説明を求められるであろう概念(HIPHOP文化/男尊女卑/暴力)の説明を、商業作品を世に送り出す人々が果たさないことはとても怖いことで、想像力の欠如した行為であり、エンターテイメントをエンターテイメントとして発信する側として恥ずかしいことです。

 

DRAMA TRACKと情報を集めても何もわからなかったし、批判エントリやツイートを見ても正直何もわからなかった。だってわたしが「このコンテンツが何処に行きたい」のかわかるほどの要素が何処にもない。DRAMA TRACKを履修して、コンテンツにおける「目的」もしくは「正義」の提示の欠如をわたしは認識し、自分がこのコンテンツに対する「批判」を明確に言語化できない理由を理解しました。何故わたしはこのコンテンツに「モヤモヤした違和感を覚えているのに言語化できないのか」。それは、コンテンツ自体に明確な「正義」若しくは「主張」がなければ、それを否定することは出来ないからです。存在しないものを否定することは容易ではなく、明確に言語化できない、そう言ったもどかしさだけが胸に残ることになる。

 

だからとにかく(1回目)。何もわからないけどなんかヤベ〜コトが起きてるコトだけはわかり、8月当時のわたしは、コンテンツとして"実際重傷""ラニーナ困惑""曲が最高""今北産業"のフィーリングを抱えてキムスバ先輩が舵をとる豪華客船に乗り込んだ気持ちでした。

 

だけど、この時から変わらないのは何も、このコンテンツにおけるマイナスの部分だけではありません。わたしはキャラクター、そしてRAPという音楽に対する情熱を、ヒプノシスマイク劇場総監督であるキムラスバルさんを含めた声優の皆さんから感じています。追求されるパフォーマンスとこのコンテンツをオタクと一緒に作り上げていこうと言ってくださることがメチャメチャ嬉しいですし、コンテンツのパッションやきらめきがどこまでも続くといいなと今もワクワクしています。

 

そしてまた、それとは別に、わたしはヒプノシスマイクを、現在日本全体で考えていかなければならない「男女の不平等性」、「武力を持つこと」について、それこそ社会の膿を、物理的な暴力ではなく「言葉」という武器としての音楽ジャンル・「RAP」をリスペクトもって用いることによってメスを入れ切り出し、白日に晒すことの出来るコンテンツになるのではないかと、短い間ですが追っかけてきました。

 

今だって、平等になり得ない不完全な社会を「フィクション」として描き出すことで「この作品ではこんなディストピアが描かれている」「これは日本の現在にも当てはまるのではないか?」「だとしたらわたし/ぼくたちは考えなければならない」、そう言った気づきを与えてくれる作品としてのポテンシャルを、この作品は持っているとわたしは感じています。

 

 

主題:発信すること/コンテンツを諦めない

 

12月17日(昨日)、ヒプノシスマイクのコミカライズ第1話が発表され、今まで掲示されてこなかったより詳細な世界観の描写がなされました。すでにいろんな意見がネットを飛び交い、 1話において描写された世界観について疑問を持たれた方々が、ミソジニーに関すること、男女平等でない日本社会のこと、そもそもの運営者のスタンスに関すること等々、様々に発信されています。

 

わたしは上に述べたように、ミソジニーや武力についての議論や気づき、発信が増えることは、Twitterやらはてなブログやら個人レベルのLINEやら、どんなフェーズであれ日本の社会における社会観の形成に大きく貢献すると思っています。

 

相対的か絶対的かにかかわらず、「想像力の欠如」は人間の、そして文化の衰退をもたらします。「自分とは違う人間」、たとえば男にとっての女、女にとっての男、日本人にとっての日本人ではないひと、お金持ちのひとにとってのそうではないひとーーーーー。

 

自分が「普遍」である/「正しい」と思ってしまうこと、それ以外のものさしを持たないこと、そもそも「それ以外のものさしが存在する」ということを知らないことはとても"貧しい"ことです。

さらに、社会が有する固定観念/common sense/共通認識がその貧しさを生む原因となっていることは紛れも無い事実です。そして社会は人間が構成する。ゆえに、人間は常に自分を、自分の中の社会通念をリニューアルしてゆかねばならないと思います。

 

まずわたしは日本がスキです。日本の文化と、日本語を尊いものだと思います。だからこそ、日本という社会がマジで終わってゆくのがイヤで最悪だと思っています。だから、つねに「今の社会でいいのか?」「では何がダメなのか?」と自分自身と、そして周りの人々と対話していくことが重要だと信じます。

そして、その中で当時代性を反映したコンテンツは「問い」を人が持つことの一助/きっかけとなる。というか、それこそがエンターテイメントの役割のひとつです。

 

わたし自身はまだ、先ほども述べたように、この作品において"自分の正義と明確に違う正義"を見出せていません。これはわたし個人レベルの問題であり、ただわたしが作品内で提示されているということが難しいからというだけです。 だからこそ、そんなわたしがいる一方で、コンテンツに含まれている要素を拾い上げ、それを咀嚼した人々が、すでに社会に問いかけを発信していることは本当にすごいなと思います。そして繰り返しにはなりますが、これこそ「文化」や「エンターテイメント」の役割だと思ってます。

 

発信は気づきを生む大事な機会です。いかに自分の思考が正しいか・完全か・間違っているか・影響力のある人間の発言に/論文に/高名な著作に裏付けられているか・ではなく、世の中に「問いかけ」という「気づきの場」が溢れること、そのことがいっとう大切なことだとわたしは考えています。

 

わたしと、このエントリをここまで読んでくださっているみなさんは、それぞれ違う環境に生まれ、育ち、同じ言語で異なる思考により自己を形成してきたと思います。その中で同じものをスキになったりならなかったりしながら、全然違う日常を生き、違うことを考えている。その日々の中で他の人とは異なる、唯一無二の自己の思考を発信し、共感や気づきを得ること。それが容易になるツールを適切に扱って、生活をより楽しく彩る。わたしにとってはてなブログはそういう"生活を彩るツール"ですし、今でもそうです。

 

 

だけど今回、議論や意見の発信が増えているからと言って、それは運営側の功労と捉えるべきではありませんし、結果的に"そうなった"からと言って彼らがコンテンツの役割を充足させたことには到底なり得ません。コンテンツの役割を充足させる為には、当該コンテンツにおける「正義」や「目的」の提示が必要不可欠だとわたしは考えます。

 

どんな商業作品においても、「これは一体なんのためですか?」「どういう意図でこうなったのですか?」と問われた時には、製作者側には「説明責任」が生じます。「現時点では説明しません」ということがもしあるとしても、それが作品のこれからの展開を考慮してのアプローチとしてどうして「説明しないことを選択したのか」についてはその都度説明があってしかるべきです。でないと「何も考えていない」と言っているのと同義です。

 

「そういう意図ではない」は言い訳にはならないし、「そういう意図ではないと受取手側に伝わる方法」を用いない時点で瑕疵があることは、普通の人間関係にだって当てはまるでしょう。

 

だから、今回浮き彫りになってしまった運営側の無頓着さにはどうしても言葉を発信するべきだと思いました。

 

とにかく(2回目だよ)わたしは、今回の事態において「女」だけではなく、我々「消費者」が軽視されていると考え、そしてそれを大変遺憾に思います。軽視する意図がない、若しくは「意図があるように振る舞ってると思われている自覚がない」ことがとても怖いです。コンテンツを発信する側としての役割を果たせていないことに気づいてもらいたい。

「消費者/世間がどう受け取るか」と言う一番重要な部分が「軽視されている」/「考えられていない」と少なくともここにいる一消費者が感じていることに気づいてもらわなければならない。わたしはそう思います。運営の方々が「考えている」と主張されたとしても、現時点で受取手側が「考えられていないように感じる」と消費者が捉えている現状が問題なのです。

 

主語の設定をずっと迷っていました。「オタク」、「日本人」、「消費者」、「人間」。ですが今、わたしはそのどれにでも当てはまると思います。軽視されているのは「女」という主体だけではない。「HIPHOP文化」、その成立の歴史的過程に対するリスペクトが、これから我々に届くコンテンツにヒプノシスマイクがなり得るのか。ただ聞きたい。

今わたしは、ヒプノシスマイクを楽しみ、消費している人間たちが思考する姿勢を「軽視」されていると、個人的に感じています。

 

わたしたちは何も受容するだけの存在ではありません。生産者と消費者の対話があって初めて、コンテンツは成立する。どちらかがそれを放棄することはコンテンツの完全なる死を意味します。少なくとも、声を上げる前に諦めたくないなと思いました。

 

なので先ほどフツ〜に運営に問い合わせました。

「わたし個人としてお答えを頂きたいわけではなく、一意見・感想としてこれからの作品が目指すべきゴールを、作品の展開に触れない形でいいので、提示され、そのゴールがきちんと反映される作品としてヒプノシスマイクが成立していくのを見守りたいなと考えています」的なことをしたため、送信しました。 

 

8月にわたし個人の中で生まれていた疑念と不信感がコミカライズ一話の時点では、解消されなかった。「伝えたいこと」なんてなくてもカッコよければ売れるかもしれない。嫌なら見なくていい、聞かなくていい、消費しなくていいから好きなやつだけ消費すればいい。そうではなくて!わたしは今メインストリームに乗ろうとしているこのコンテンツについて「こうしとけば売れるだろ」「とりあえずRAPカッコいい」「イケる!」と考えているのか/意図するところがなにもないのか分かりませんが、結果的に、消費者、つまり今日本でオタクしてる我々が「バカにされてる気がする」ことがとってもイヤです。え〜!ヤダ〜!マジだよ!負けたくない〜!情報の提示が遅い〜!だけでなくそこの理由づけを怠っている〜!ムキ〜!

 

世界観の説明を放棄することは製作者としての怠慢であり、現状のようなコンフリクトを生むことに繋がっています。議論は、製作者側が意図した「伝えたいこと」が受取手側に伝わってはじめて生まれるものです(伝えたいことがあるならば、ですが)わたし個人、現在ファンダムには「議論」ではなく「困惑」に近いものが広がっていると感じています。

 

繰り返します。わたしの問いかけ。それは、キャラ解釈や世界観に対する疑問以前に「製作者側がHIPHOP・男尊女卑から女尊男卑へとパラダイムシフトした世界観・武力や戦争と言う概念を扱うことに対する姿勢の説明が不足してはいないか」ということです。

 

現状のように、「どういった意図でこの世界観を提示したのか」という声に対する説明も情報の開示もないことはとても怖いことです。もし説明や別に情報の開示のタイミングがあるとしても、今、「現時点で誤解を招いていること」について言及すべきだと感じます。

 

今あるものと異なる社会を描く時に必要なのは「構造」の描写です。SF小説は社会構造の思考実験とも言われていて、それこそがSF小説アメリカで発展した要因の一つだと言われています。社会が違えば「ルール(法)」も異なる。法が異なれば「倫理」も異なる。そしてそういった社会構造の構築と描写は、あくまで製作者側が担う領域です。その箱庭の路地の裏の裏を埋めるようにファンダムは思考する。作られた世界の「余白」を模索することが消費者・受取手側の遊びの一つの手段です。

 

「遊び」にだって「ルール」が必要。鬼ごっこは「鬼」も「逃げる子ども」も自分の役割を全うして、自分の置かれている世界を把握して、そうしてはじめて成立する。「ルール」から勝手に逸脱することはつまらないし、「制限」はときにひとをさらに自由にしたりする。

 

わたしは「ルール」の中で思考することがスキです。楽しい、コンテンツのコンテクストを拾うこと、何を意図しているかを考えること、それを友人たちと共有すること。全部しっかりやりたい!鉄は熱いうち!

 

だからこそ、わたしはあのコンテンツにおける「正義」を知りたいのです。

 

 

おわりにかえて:ペンは剣よりも強し

戦争の話をしよう。いやそうですね。これはわたしにとっての闘いの話です。

 

突然ですが、わたしはこの世界における「魔法」を信じていて、それは「言葉」だと確信しています。ひとを殺めることも、生かすこともある、決して万能ではない「魔法」。それは「力」です。

 

ヒプノシスマイクはその「力」における問いが根幹にあるコンテンツだと思います。「ペンは剣よりも強し」。キャラクターが「言葉」で闘うって言ってるんだからわたしもリスペクトとして「言葉」で闘おうと思いました。マンガの、たった一個の小さなコマであの世界観での「武力」がどう定義されるのかとか、本当の法案っていかに「言葉」を「定義」するかに重きを置いてるからあんな二行じゃ絶対収まるわけない!し、もっとずっと大事な要素が抜け落ちているハズ。でもまだ分からない。今はどうかコンテンツがコンテンツとしてこれから成立していくことを願います。

 

またこれは別の話なのですが、これだけの人間が考える機会を与えられていること、そしてその環境が当たり前に用意されてることにメチャメチャわたしは感謝しています。そして、用意されているものを自分のものにしていくこと、考えていくことは、与えられた人間における権利であり義務だと思います!

 

だからこそわたしはこれからもずっと、自分が思う「楽しい」や「スキ」について考え、発信していきたいです。問い合わせの返信は追記します。今日はお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました🙇‍♀️

 

 

omake:わっつご〜いんおん!ラニーナ!

先日、今年の観劇納めとしてTHE CONVOY SHOW「ONE!」に足を運び、ノーコンテクストの嵐!なダンディーと若者のCHEMISTRYに巻き込まれてきました。asiapan!から一年空き、星屑バンプを観劇できていないので比較できないんですが、パフォーマンス・パートのスペクタクルさに"師走"を感じました。いやそこはメリクリ感じとこ自分。閑話休題。今回THE CONVOYエントリでもエーステエントリでもゼロシコ4DX/MX4Dの鑑賞比較エントリでもなんでもなく恐縮なのですが、書きたいことが全部でなくともあらかた書けたことを満足に思います。ちなみにBANANA FISHは観れてません。最終話はリアタイしようと思います。え、いつ?!(しらべる・・・)いつも通りテンション高めエントリで今年を終えたかったのですが、8月初めに実行に移さなかったお問い合わせをマジでしてしまったことをイエ〜イ!とゆ〜テンションでは書けない!ワハハ!と思い、泣く泣くこぶしだけは効かせました。TED参考に「感情ごと伝えること」に重きを置きました。なにかが伝わりますように。ファンタビ2、観ようネ!みんな!